「どうでもいい」と思えることがイチバン大切・・・!?

あなたが、「思考能力(論理能力)」を鍛えようとしているならば、それはひょっとするとすべて無駄かもしれません。

なぜならば、最近の実験心理学の研究によって、思考は感情に追従する、…ということが明らかになってきているからです。

自分が「論理的に」考えて、下したように思える結論でも、実は感情に基づいて先に決められていた結論を、後から論理的に理由付けしている場合が多いのです。

「物事を客観的に考えて、まともな判断を下す」という能力を鍛えようとするときに、思考能力ばかりに気を取られていると足をすくわれます。

実は、まともに考えるということをするためには、思考よりも感情を鍛えなければならないのです。

テレビの討論番組を見てみてください。彼らは教養もあり、これだという確固たる意見も持っているはずです。

なのに、大体はお互いに自分の意見の押し付け合いになってしまって、話し合いにならないじゃないですか…?

結局は、人というのは感情に基づいて行動してしまうものだからです。

だから、本当の意味で物事を討論(ディベート)するときには、必ず第三者がお互いの言っていることの論理的妥当性を精査します。

客観的な審判がお互いの間に入ることで、お互いが自分の言っていることの「論理的妥当性」のみにフォーカスを当てて発言することができるからです。

「バカ」だの「アホ」だの言い合う、テレビの前の人間に向けたパフォーマンス以外には何の価値もない話し合いにはなりません。

…このように、どれだけ教養、論理的思考能力の基礎を持っている方でも、感情に囚われてしまっては「まともに考えられなくなる」ということです。

その感情を表に向かって表出することに精一杯になるか、もしくは感情に基づいた間違った判断を下してしまうか、・・・のどちらかになります。

だからこそ、「まともに物事を考える」ことができるようになるためには、思考よりもまず感情を鍛えなければならないといえるのです。

「感情を鍛える」とは具体的にどういうことなのか?

感情というのは、思考と違って捉えずらいものです。

思考は、論理的な道筋として図形化することもできるし、目に見える形で外に記録することができます。

しかし、感情を「見える化」することは難しいでしょう。せめて、相手の目に見える仕草や態度が、ある程度相手の感情を表現しているだろうと予測できる程度…。

自分の感情となればより難しいかもしれません。それをコントロールしようとするとなると、かなりの自制力が必要となります。

なので、僕が「感情を鍛える」ということを考えるときに思うのが、

・できるだけ”平静を保つ”
・”動じない”でいられるようになる

…ということです。

お風呂に入りながら、波打つ湯船の波を、手を添えてそっと鎮めようとしてみてください。

努力すればするほど、より波打ってくるはずです。感情の動きもこれと同じ。

感情的になってしまった心を、意図的に鎮めよう鎮めようと思うほど、よりアラぶってくるものです。

だったら、最初から心が波打たないように気を付ける。これが、「平静を保つ」「動じない」ということであり、なるべくその状態でいられる時間を増やすことが「感情のトレーニング」と言えるでしょう。

どうすれば感情的にならず、動じない心を手に入れることができるか

感情的にならず、平静を保っている時間が長ければ長いほど、その分、「まともに考えることができる」事柄も増えていきます。

世の中には、仕事はできる。スポーツもできる。ほぼなんでもできる。でも、恋愛だけはダメ…という人がたまにいたりします。

こんなふうに、あなたが苦手意識を持っている何かというのは、必ずあなたを感情的にしてしまう事柄です。そうですよね?

感情的になる、ということは、「それについてまともに考えられていない」ということを意味します。

だから、その分野に限って、人は空回りしてしまうのです。

簡単には動じない心、平静を保っていられるほど、鍛えられている感情を持っていれば、そうはなりません。

では、どうすれば感情的にならず、動じない心を手に入れることができるか。

僕は、今のところ、その方法は一つしかないと思っています。冗談めいた答えですが、本気です。

感情心理学という、人間の感情を中心に研究している心理学の分野があります。

そこで言われていることは、感情は「評価」に基づいて起こる、…ということです。

例えば、あなたが「誰かがこうしてくれる」という期待を裏切られたとき、感情的になったり、ドッと疲れてしまったりしませんか?

自分が「期待をしている」ということは、自分はそのことに対して「重要であるという評価を下している」ということです。

なので、その「重要であるという評価」を裏切られることによって、あなたは感情的になってしまうのです。

このように、感情というのは、無意識のうちに自分が対象に対して下している「評価の重さ」に比例して、強く揺れ動きます。プラスにも、マイナスにもです。

…と、言うことは、まるで能面のように平静を保つためには、物事に対して「重い評価」を下さなければいいのです。

つまり、こういうことです。

「どうでもいい」と思ってしまえば強い

すべて、どうでもいいし、どっちでもいい。と思ってしまうことです。

こうなれば強いです。感情的になることもなくなりますし、そのことによってまともに物事を考えることができるようになります。

皮肉なことに、相手のことを誠実に思い続けている人よりも、どうでもいいと思っている人のほうが案外、モテたりします。

それはなぜか。感情的にならず、「まともに相手のことを見ることができている」からなんですね。

相手にとってしまえば、こちらがどういうふうに相手のことを思っているか、という見えない動機は分からない。

「相手が自分のニーズを満たしてくれるか」という、見える部分で人を判断するしかないんです。自分だってそうでしょう。

だからこそ、大勢の女をたぶらかしていて、一人一人の女なんかどうでもいいと思っているチャラ男のほうがモテるんです。

それだけ冷静に相手のニーズを理解することができているからなんですね。

真面目は損をする」といった言葉も、物事に肩入れしずぎてしまい、感情的になって、逆にまともにそのことについて考えられなくなる、だからうまくいかない、という現象を意味しているように僕には思えます。

極端な意見に思えるかもしれませんが、真面目な人ほど、あえて「どうでもいい」という視点に立って考えてみることで、見えてくるものがあるんじゃないか、…ということです。

人生で起こることのすべてに意味なんかないし、「どうでもいい」と言ってしまってもよくありませんか?

どうせ死ぬ俺たちの毎日に、生産性があるはずもない。それぐらいすべてが「どうでもいい」と思えたら、楽でしょうね。笑

 

 

まとめると・・・

・思考は感情に追従する。感情が決めた結論を、思考が論理的に理由付けしている。

・感情を鍛えなければ、「まともに物事を考える」思考能力は身につかない。

・感情を鍛えるとは、できるだけ「平静を保つ」「動じない」でいられること。

・感情は自分が物事に下した「評価」によって、その大きさが決まる。

・全部どうでもいいと思っている人が一番強い。

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