「~だから幸せになれない」という考え方は不自由

自由執着…という概念は、
正反対のようで似ています。
自分は自由に何かを選んで生きている、…という人が
実は執着していたり、ということは良くあることです。

人は、「自分はこれがないと幸せになれない」と思うとき、
そのものに対して執着していることになります。
これは、自由とは反対の状態です。

自由とは、どんなときでも自分の態度を選べる、ということです。
与えられた状況の中に、いいものを見出していく。
つまり「足るを知る」といったような態度に近いと思います。

現代において、「自由」ということの意味は、
あまりに「経済的自由」に傾きすぎていると感じます。

もちろん、自分の力でお金を稼ぎ、
自分の好きなときに好きな場所に行ける、
そういったライフスタイルは魅力的です。
僕も憧れます。

しかし、経済的自由がないからといって、
自由にもなれないというのはまた別の話ですよね。

自由というのは、お金などの外的要因の話じゃなくて、
自分の精神状況、態度についての話です。

もしも、「経済的自由」がなければ自由になれないというのであれば、
多くの人が不自由に生きていることになります。

しかし実際には、サラリーマンでも好きでその仕事を選んで、
毎日生き生きと働いている方々だって沢山いるはずです。
そしてそういう方々ほど、独立しても力を発揮できます。

「経済的自由」があれば「自由」になれるのではなくて、
「自由」というメンタルの状態が整ってくれば、
「経済的自由」もついてきやすくなるということです。

一方で、ネットなどで自由なライフスタイルを謳っている人々に憧れすぎて、
「自分は経済的自由がないから毎日がダルい…」というふうになってしまうと、
それは経済的自由に執着していることになり、
つまり「自由」ではなくなってしまうわけです。

「これがないとダメだ」となってしまうと、
それは自由とは真逆の状態、つまり執着していることを意味します。
執着しているという状態は、自由とは真逆の状態になってしまうため、
「経済的自由」も遠ざかってしまいます。

これはすべてについていえることです。
「自分は貧乏だから幸せになれない」
「モテないから幸せになれない」
「ルックスが悪いから幸せになれない」
「勉強が苦手だから幸せになれない」
「スポーツができないから幸せになれない」

~だから幸せになれないという文法を使うとき、
その人はそのことに執着してしまっていることになります。

そして、執着しているものというのは、
皮肉なことに自分から遠ざかってしまうものなのです。

いつも女のことばかり考えている男って、
女の人からすれば魅力的に映らなかったりするじゃないですか?
それよりも、毎日をただ楽しんでいる人のほうが魅力的に見えたりする。

なぜならそのほうが「自由」っぽいからです。

自由な精神というのは、カリスマ性そのものでもあります。
人は自由な精神を持っている人を見ると、
ああ自分もこんなふうになりたいと思って寄ってくるものです。
それは経済的自由などのモノでも同じ。
類は友を呼ぶという現象です。

一方で、執着というのは不自由さの象徴です。
人は不自由な考え方をしている人を見ると、
なんだか自分の限界を思い出さされるようで、
無意識のうちにその人から離れたくなってしまうのです。

できる範囲で、「自由」という側面から、
自分の毎日を考える習慣をつけることは、
何にも増して大事だと感じている最近です。

では、今日はこれで。

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